理事長 松本 壯次
漢字は絶対必要です
かなやローマ字で書かれた文章は非常に読みにくいものです。短い電報文でさえ、意味を汲み取るのに相当苦労します。
これにはいろいろな理由があります。まず、日本語には同音異義語が多く、聞いただけでは分からないという事があります。
世子・制止・生死・静止・製紙・誓詞・正視・・・・・・かなで表記すると、みな「せいし」ですが、これでは何のことやら分かりません。漢字を見ればすぐ分かります。聞く時にも、実は、漢字を思い浮かべているから分かるのです。
もう一つ理由を挙げますと、日本語の文末決定性という特徴です。日本語は先行語が後続語に従続し、最後の一語で文意が決定するように出来ています。それで、日本文は終りまで一気に読み通さないと意味が良く分からないのです。かな書きの文章は、どうしても拾い読みになりがちで、勢いよく読めませんから、分かりにくくて当然です。それに引き換えて「漢字かな交じり文」はすらすら読めてよく分かります。このように漢字は日本語には無くてはならない存在です。
知識の源泉は書物です
テレビや漫画も情報源には違いありません。しかし深く確かな知識の習得には向きません。
書物は、いつどこでも読めます。よく理解できるまで何度でも読めます。読解力が身に付いておれば、大抵のことは読めば分かります。学校で習うことで、一番大切なのは読み方であるといってよいでしょう。あとは書物を読んで、生涯自学自習すればよいのです。書物には古今東西の人類の叡智が凝集しています。
漢字はかなよりもやさしいのです
それにしても、漢字は覚えるのが大変だとお思いでしょう。ところが、幼児はまず例外なくかなよりも漢字の方をよく覚えます。かなを学習する時間を、漢字を学習する時間の十倍にしても、かなの方が覚えにくいほどです。
漢字は形が面白く、絵の様な趣があり、幼児に分かりよく親しみやすいので、幼児は一目で何の苦も無く無造作に覚えてしまいます。幼児には見た漢字を覚えずにはおれない能力があるようです。
乗り換えは難しい
旅行するのに、電車やバスを何度も乗り継ぎ乗り換えなければならないとしたら、面倒だし、間違いも起こりやすいでしょう。世間で、一般に漢字で表記している言葉を、まず「かな」で教えて後で漢字に直すというやり方は、子供に乗換えを強いるものです。小学校で、漢字の学習が困難なのは、こんな所にも原因があります。世間一般の表記法を、最初から子供たちに学習させなければなりません。幼児語についても同じ事が言えます。
読めればよいのです
幼児にとって、漢字を読むのは、人の顔を覚えるのとさして違わない。やさしい事ですが、書くとなると大変です。大人でもよく知っている人の顔なら描けるというものではないでしょう。読み書きを同時に教えるのは非能率です。幼稚園では読み方を先に教えます。しっかり読めるようになってから書き方を習いますと楽に書けるようになります。
才能が開発されます
才能は生まれつきではありません。乳幼児期の教育訓練がそれを決定するのです。中でも大切なのが国語教育です。人は話をする動物だ、言語を持っているから万物の霊長になったのだと言われています。
私たちは認識を言葉でするのです。考えるのも言葉でするのです。分かると言うのは、意味がはっきりした言葉をキチンと並べることなのです。国語の語彙を豊かにし、意味を明瞭にしているのは漢字ですから、漢字学習は幼児期の才能を開発するのに最も有効です。
情操が豊かになり心が安定します
漢字の字形の面白さ、音調の美、想像力を駆り立てる不思議な魅力は、言外によく人情の機微を表現します。漢字は心の玉を磨く道具であり、日本人の心の故郷です。幼児は漢字の魅力を直感してか漢字が大好きです。漢字を見せながら(教えながらではない)お話をしますと、内容が良く分かるので無心に聞き入ります。喜びの感情が湧き心が落ち着きます。人の話を良く聞き、深く書物を読み取る習慣が付きますから、人の喜びや悲しさが分かって同情心が生まれます。自分よりも先に人の幸せを願うようになります。従って、世の中が明るく平和になります。
ひかり幼稚園は心からこのことを願って漢字教育に精進しているのです。